昭和45年九州SL撮影旅行記(8)

九州SL撮影旅行記の9日目です。 3月31日(火)  6時半頃に目覚ましが鳴り起きて支度をしていると45分頃食事に呼びに来たので食べて出かけた。阿蘇駅から一つ行って(7:19発)宮地(7:27)で降り荷物を預けずに先へ歩いていった。見回すと阿蘇の外輪山が絶えることなく囲んでいて線路はその方へ伸びていた。右手にはひときわ高い山がありその左に頭のでこぼこした山があった。中央火口丘はどれだか分からなかった。空は青く非常に気持が良かった。大きく右にカーブしている辺りで撮ることにしてその前に外輪山の様子をパノラマで撮った。 (写真70) (写真71)  TXが少なくなっていたのでPXでやった。受け持ちは私が105PX、コードエクタ、テレコで弟に8mmをやらせた。欲張るに値する景色だった。駅のほうから汽笛がして煙が近づいてくる。かなり時間がかかったようだ。テープが残り少なかったので音がはっきり聞こえるようになるまで待った。近づいて来る方は電線が有ったので105で少ししか撮らず後ろ向きで一番近くの大きな山をバックに取るのをエクタでやった。96が早くないブラストで登ってくると言うのは非常に遅いということにほかならなかった。105で近づいてくるのと走り去るのを2~3枚撮って最後にコードのレリーズを握った。 (動画10)宮地9600.MP4 (写真72) (写真73)  煙はあまり白くないと言うより黒が多かったと言ったほうがいいか。いいなあと思うようなものでは無かった。風向きがあま…

続きを読む

昭和45年九州SL撮影旅行記(7)

九州SL撮影旅行記の8日目です。 3月30日(月)  朝食をとり荷物はその旅館に預けて雨のかなり降る中をC55レの到着を撮りに行った。駅から少し行ったところの竹やぶの所で雨宿りしてそこで撮ることにした。直ぐ側の家へ二人のおばさんが行くのに出会ったが気軽に挨拶をしてくれたのでこれに応えた。C55は雨の中を古い機に特有のけたたましいというか恐ろしいほどの猛り狂った汽笛を鳴らしかなりの速度で駆け抜けていった。33だった。 (写真60)  戻る途中C5691を撮った。 (写真61)  旅館で少し休んでから再び同じ方向へ歩き構内でC55レの発車を撮った。貨レだった。そのときはもう雨はやんでいた。煙は良かった。また33だった。 (写真62)  弟には何もやらせなかったがテレコをやらせれば良かったと思っている。次のC56はウヤらしく仕方ないので駅に入って予定の急行に乗った。矢岳へ登る勾配ではかなり遅くなりトンネル内では隨分排気ガスが入ってきたように記憶している。もっともデッキだったが。グリーン車のところでトイレはお湯が出て紙タオルが有った。真幸も大畑と同様通過線の無いスイッチバック駅であり停車した。ちょうど入った時トイレで小用をしていた。大畑には大して人はいなかった。それでも10人位か停車した時かなりのファンが乗ってきた。今頃引きあげて満足なのかと思った。特に午前中が雨だったのに。  このまま立って八代まで行くのもなんだから人吉で各停に乗り換えようと言うことになって降りた。一度出て…

続きを読む

昭和45年九州SL撮影旅行記(6)

九州SL撮影旅行記の7日目です。 3月29日(日)  目を覚ましたのは7時頃であったがそれまで例によって1時間毎に目を覚まし時計を気にしていた。もう8時3分であるような夢らしきものを何度見たか分からない。これでは良く眠れる訳がない。人吉で弁当を買って食った。ここでは30分近く止まっているというのんびりさだった。出発して勾配に掛かる。天気は次第に良くなりつつあった。D51が力強く登って行くのが窓から見られた。駅間は10kmもあるので随分かかって大畑に着いた(8:03)。列車には学生(高校生)がたくさん乗っていた。宮崎に入る頃までに九州の女の子は可愛いというイメージが植え付けられたのだが(例えば宮崎のYHで旅館に案内してくれた子など)ここではそうでもない様に思えた。  大畑はループとスイッチバックを同時に備えた駅である。ここには直接登っていく線が無く、全ての列車はホームに入り引き込み線に戻ってそして出て行かねばならなくなっている。急行がこんな駅前に家もないような所に止まるのはそのためだろう。  10時半ころまで列車が無いので便所などへ行き準備を念入りにしておいた。ダイヤにより始めはループあとでSカーブということにしてリュックを預けファンの地図に従ってループに登って行った。あまり掛からずに(20分位か)ループの上の方に出た。そこからはファン誌の白沢氏の写真の位置が良くわかった。随分遠くに見えていたがその感じよりここまで早く着いたように思えた。駅と反対側にある丘に登るとそこまで登ってくる素晴らしい…

続きを読む