ゆうづるに会いに常磐線へ 昭和42年8月1日鉄道撮影日記(3)

昭和42年8月1日  おじさんに明日から電機の試運転が始まり、12日から特急・急行のC62の前にED75が付くので11日までが華だと聞き、もう本当に風前の灯なんだなあと痛感しました。この人はED75とDD51を徹底的にけなし、蒸機への愛情を語っていました。その後その人について場所を変えました。 (少し末続方面に行きトンネルの手前で撮りました。) (写真01417 常磐線 広野~末続 C6115 67.8.1) (写真01418 常磐線 広野~末続 C6115 67.8.1) (写真01419 常磐線 末続~広野 D51869 67.8.1)  話し好きな人で、いつも同じ場所で撮るのが好きなことや、水戸に住んでいる新聞社の人であること、水戸鉄道管理局に行って情報を仕入れて来ること、C60にシールドビームが付いたとき文句を言ったらいつの間にか大きなライトに変わっていた事、貨物列車の車掌車に乗せてもらったときその乗り心地の悪かったこと、それについて文句を言ったら乗り心地が良かったら車掌が寝てしまって事故の元だと言われたこと等々色々な事を話してくれました。いままで平に来たうちで一番有意義に過ごせたような気がしました。 (更にトンネルの先に移動しました。広野~末続間は適度なカーブ、邪魔物がなく、高いところからも撮れるなどSL撮影にとても良い場所でした。)) (写真01420 常磐線 広野~末続 C607 67.8.1) (写真01421 常磐線 末続~広野 D51313…

続きを読む

ゆうづるに会いに常磐線へ 昭和42年8月1日鉄道撮影日記(2)

昭和42年8月1日  上の弟がいないので撮影場所を一人で探さなければならず大変でした。時々右側に良いところが見えましたが、3回目に見えたところで止まり、下見に行って車が入れることを確かめ、下の弟に母に来るように言って来てもらいました。曇ってはいましたが空気の清々しさはそれを忘れさせてくれました。「ボッ」山の向こうに煙。この時刻はあの第3十和田です。まず向こう側の踏切、ついで直ぐ側の踏切が鳴り出し、トンネルからブラストが届いてきました。C62は13両を率いて大きなカーブを回り込んで来ました。ここぞと押すシャッター。「割と良かったね」と思いました。 (写真01411 常磐線 広野~末続 C6249 第三十和田 67.8.1) (写真01412 常磐線 広野~末続 C6249 第三十和田 67.8.1) (D51の貨物列車が来たので一応撮っておきました。) (写真01413 常磐線 末続~広野 D51248 67.8.1)  少しすると広野の方から一人ワイシャツを着たおじさんが歩いてきました。私のすぐ斜め前に三脚を据えてしまったのでもう少し下がるように頼んだら「そこで13両入るかな」などと言ったので「入りませんか」と言って私がその方へ移りました。この人は父より少し若いくらいでこの場所(広野~末続間)に11回も来ているそうです。ここは経験者の言うことに従った方が良いと思われたので同じところに三脚を据えカラー入の(ペンタックスS2)オートを締め付けエアレリーズをねじ込みました…

続きを読む

ゆうづるに会いに常磐線へ 昭和42年8月1日鉄道撮影日記(1)

昭和42年7月31日  夜10時40分頃出発し一路ルート6を平に向かいました。今回も母の徹夜運転です。是非ともゆうづるの傑作を撮りたいと思います。 昭和42年8月1日 (途中SL列車に遭遇し、とにかく1枚撮りました。) (写真01501 常磐線 67.8.1)  平着は4時頃でした。あたりはもう薄明るくなっていました。あの清々しい蒸機の匂いが包んでいました。早速三脚とASA1600入の(ペンタックスS2)スーパーを持って踏切を渡り機関区に向かいました。何か前に来たときより機関車の数が少なくなっているようで寂しい気持ちでした。 (写真01504 平機関区 67.8.1) (夜景ではナンバープレートが反射で光るように角度を決めることが多いのですが、これはASA1600を使ったこともあり露出オーバーで読めなくなってしまいました。) (写真01505 平機関区 C62 67.8.1) C5720に火が入っていてこれは喜ばしく思われました。 (写真01506 平機関区 C5720 67.8.1) (写真01507 平機関区 67.8.1) (上の写真のC62です。) (写真01508 平機関区 C6238 67.8.1) ラウンドハウスにはC50がいて少々不思議に思いました。 (写真01509 平機関区 C50139 67.8.1) (ここで休んでいたC62この後次々に列車を牽いてやってきます。) (写真01510…

続きを読む