D51とC57を田端機関区・十条・日暮里で撮る  昭和43年11月赤羽線・常磐線撮影日記

 この日はまず田端機関区でC57を撮影してから十条に行きました。 昭和43年11月 (C57755。公式側の奇麗な写真が撮れました。) (写真06306 田端機関区 C5755 68.11) (十条駅へ行き、踏切を通るところを流し撮りしました。) (写真06307 赤羽線 十条 D51631 68.11) (写真06308 赤羽線 十条 D51631 68.11) (並んでいるタクシーは2代目クラウンですね。タクシーに混じって人力車が通りかかっています。車輪が木製と見られ、リアカーではなく大八車だと思います。) (写真06309 赤羽線 十条 D51631 68.11) (日暮里に移動して上野発成田行きのC57牽引客レを撮りました。) (写真06310 常磐線 日暮里 C5785 68.11) (京成電鉄の高架線が見えます。) (写真06311 常磐線 日暮里 C5785 68.11) (C5785は次の年(昭和44年1969年)8月に鹿児島に転籍となり、48年まで九州で働いていました。) (写真06312 常磐線 日暮里 C5785 68.11) (写真06313 常磐線 日暮里 C5785 68.11) (写真06314 常磐線 日暮里 C5785 68.11) 以上

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D51とC57を十条・日暮里で撮る  昭和43年11月赤羽線・常磐線撮影日記

 日常に戻り、近所での撮影を続けました。 昭和43年11月 (幾度となく通った板橋駅北方の陸橋の下から撮りました。) (写真06300 赤羽線 十条~板橋 D51631 68.11) (いつも同じ構図になりがちなので変化を狙って流し撮りしました。) (写真06301 赤羽線 十条~板橋 D51631 68.11) (なつかしのカナリアイエローの101系が走り去っていきました。) (写真063-1 赤羽線 十条~板橋 101系 68.11) (日暮里へ移動し、常磐線経由成田行きC57客レを撮りました。) (写真06136 常磐線 上野~日暮里 C57134 68.11) (C57134は翌年4月にこの常磐線経由成田行きの最終列車を牽引したとの事。) (写真06302 常磐線 上野~日暮里 C57134 68.11) (日暮里駅への進入です。学生と思われる乗客が多く待っています。二人がホーム先端に来て写真を撮っているようです。) (写真06303 常磐線 上野~日暮里 C57134 68.11) (急いで跨線橋を降り、尾久橋通りに走っていき、日暮里駅の先の陸橋を渡る姿も撮りました。) (写真06304 常磐線 日暮里~三河島 C57134 68.11) 以上

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指扇付近で96列車を撮る(3)  昭和43年11月川越線撮影日記

 前回の続きです。 昭和43年11日 (指扇方面から96貨レが近づいてきます。下の方に自分と樹木の影が写っています。) (写真06233 川越線 指扇~南古谷 49613 68.11) (橋梁に向かって力行してきます。) (写真06234 川越線 指扇~南古谷 49613 68.11) (写真06235 川越線 指扇~南古谷 49613 68.11) (流し撮りが奇麗に決まりました。) (写真06236 川越線 指扇~南古谷 49613 68.11) (よしひこ君が、踏切の所で撮っていました。冒頭の写真に撮り終わって踏切の柵の所に立っているのが写っていました。) (写真49613_01) (49613は新鶴見で長らく入替専用機として働いていたようですが、ここ川越線で本線業務に復帰していました。) (写真49613_02) (この翌年(69年)北海道の北見に移り、71年まで働いたとのことです。) (写真49613_03) (写真49613_04) (写真49613_05) (写真49613_06) (写真49613_07) (今回の川越線撮影行はここまでです。) 以上

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