日帰りの八高線撮影日記

 6月の休日、日帰りで八高線のSL列車を撮りに行きました。 昭和44年6月 (バック牽引でやって来た69636。この機体は先日川越線で見かけました。) (写真08830 八高線 東飯能~金子 69636 69.6) (写真08831 八高線 東飯能~金子 69636 69.6) (釣り人が列車に視線を送っています。) (写真08832 八高線 東飯能~金子 D51 69.6) (惰行運転で機関助士も一息といったところでしょう。) (写真08833 八高線 東飯能~金子 D51676 69.6) (前の写真のD51676に拝島で追いついて後ろ姿を撮りました。) (写真08834 八高線 拝島 D51676 69.6) (写真08835 八高線 拝島 D51676 69.6) 次回に続く。

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昭和43年、「鉄道マニア」として新聞に載りました

 今は「撮り鉄」と呼ばれていますが、昭和の時代には「鉄道マニア」等と呼ばれていました。当時高麗川機関区に撮影に行ったときに、たまたま東京新聞の取材が来ていて、写真に収まりました。押入れを整理していたところ、この新聞が見つかったので紹介します。 昭和43年10月7日 (同日付東京新聞の「フォトトピックス」に「消えゆく汽笛惜しんで」と題し高麗川機関区を舞台にした記事が掲載されました。そこには撮影中の筆者等の写真が載っていました。) (写真 東京新聞昭和43年10月7日記事全体) (左上の大きな写真には、筆者がD51の先頭部に乗って、ナンバープレートの写真を撮っているところが写っています。「肌ざわりも楽しむ」となっていますが、この説明も含め記者の思い込みが書かれており、実際はなるべく近くで撮影したいということです。写っている人間は左からよしひこ君、下の弟、私、上の弟です。) (写真 東京新聞昭和43年10月7日D51に乗って) (この時の我々側の写真です。) (写真Image30) (写真05326 八高線 高麗川 D51911 68.9.8) (写真Image31) (左下の写真の題名が「危険防止にひと言」となっていますが、実際は「どこから来たの?」「高校生?」(当時高1)など、普通の会話で「心を鬼にして」などという事はありませんでした。手前の人間は筆者です。) (写真 東京新聞昭和43年10月7日記事左下) (右下の左の写真の題名が「サクこわし…

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高麗川駅構内でD51を撮る  昭和43年9月八高線撮影日記(14)

 引き続き高麗川駅構内で機関車を撮影しました。 昭和43年9月8日 (D51911です。) (写真05326 八高線 高麗川 D51911 68.9.8) (写真Image31) (写真05334 八高線 高麗川 68.9.8) (写真05335 八高線 高麗川 D51911 68.9.8) (写真05336 八高線 高麗川 D51911 68.9.8) 高麗川駅での撮影はこれで終わりました。帰り掛けに川越線で96の列車を撮影しましたがそれは次回掲載します。

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